R.シュトラウスとテノールテューバ

 

 オーケストラのスコアに、ホルンからの持ち替へを行はない「テノールテューバ」パートを設けた作曲家の中に、R.シュトラウスがゐる。彼の交響詩「ドン・キホーテ」、そして交響詩「英雄の生涯」には、いづれも「Tenortuba」のパートがあり、これらは、ホルンからの持ち替へは指示されてゐない。そのやうな理由から、これは、バステューバの1オクターヴ上の音域を演奏するテノールホルン(Tenorhorn)やバリトン(Bariton)、またはユーフォニアム(Euphonium)で演奏されるのが普通になってきてゐる。ごく當り前の事柄といふのは、特に意識されないものであり、ワタシも、この2曲は、オーケストラの中でユーフォニアムが活躍する貴重な曲だと、ずっと思ってきた。しかし、R.シュトラウスとテノールテューバについて、どうも氣になる一文を目にして以來、R.シュトラウスの意圖といふのが掴みにくくなってしまった。この項では、その一文を辿りつつ、R.シュトラウスはどのやうな意圖で、通常の編成にはない「Tenortuba」のパートを設けたのか、考へてみたいと思ふのである。

 

1. R.シュトラウスの記述

I myself have frequently written a single tenor tuba in B-flat as the higher octave of the bass tuba; but performances have shown that as a melodic instrument the euphonium is much better suited for this than the rough and clumsy Wagner Tubas with their demonic tone. (1905 Revision of Berlioz's Treatise on Modern Instrumentation and Orchestration)

【拙譯】私自身、バステューバのオクターヴ上の音域の樂器として、一本の單獨のB♭のテノールテューバを度々書いてきた。しかし、實際の演奏においては、メロディックな樂器として、ユーフォニアムの方が、おどろおどろしい音のするヴァークナーテューバ(複數)の、粗く、ぎこちない演奏よりも、適してゐると見られたのであった。

 この前後の文章、またR.シュトラウスが記したであらうドイツ語の文章が見あたらないので、いささか不正確(この際、R.シュトラウスが「Euphonium」を何と表記してゐたかが肝心になるのだから)かも知れないが、この點については、今後も資料収集に努め、よりはっきりさせて行きたいと思ってゐる。

 さて、R.シュトラウスは、バステューバのオクターヴ上の音域を擔當する樂器として、「a single tenor tuba in B-flat」を書いたと言ってゐる。「a tenor tuba in B-flat」ではないのである。わざわざ「single」といふ言葉を入れてゐるといふことは、從來複數で使用されて來た樂器の内の一つを使用した、または通常複數にて使用されて來た樂器を單獨で使用した、といふ風に解釋出來ると思ふ。さうでなければ、單に「a tenor tuba in B-flat」と書けばよいはずである。その後で、ヴァークナーテューバ(複數)を引き合ひに出してゐることからしても、「ヴァークナーテューバの内のB♭の方」が使はれることを想定して、「Tenortuba」のパートを書いてきたといふ風に、文章から推測することも出來る。

 少なくともスコアを書き上げる段階に至るまでは、R.シュトラウスのその思ひに變化は無かったのではないかと思ふのである。しかし、實際の演奏において、B♭のヴァークナーテューバを擔當した奏者の演奏自體なのか、または樂器自體の特性によるものなのか、いづれが原因なのかは定かではないが、いづれにしても、B♭のヴァークナーテューバは、R.シュトラウスの思ひ描いてゐた役割に、十分對應出來てゐなかったのだと思はれる。そこでR.シュトラウスは、これらのパートをユーフォニアムで演奏する方がより適してゐると書き記したと考へられるのである。

以下續く!


2003年6月11日作成


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Hidekazu Okayama