フレンチ・テューバについて

 

 「フレンチ・テューバ」と稱される樂器がある。實際にコルトワ製の所謂「フレンチ・テューバ」を入手して、どうも我々の解釋には大きな誤解があるといふことに氣付かされた。「フレンチ・テューバ」は、よくこのやうに解釋されるのではなからうか。

 ユーフォニアムとほぼ同じ管の長さ(但しC管)で、ユーフォニアムよりも太いボア、6本のピストンとペダルトーンで通常のテューバの音域を演奏する。フランスでは長年、この樂器がテューバとして使はれてきたので、「フレンチ・テューバ」「フランス式テューバ」と呼ばれてきた。

 ちなみにこの解釋のオレンジ色の部分が、どうも誤解をされてゐると思はれる部分である。丁度よい機會なので、ここでまた洗ひ直してみたい。我が國では現物を目にすること、そして實際に演奏する經驗が少ないが故に、「テナーテューバ」「カイザーバリトン」の場合と同じく、想像の域を出ない部分についてまでもっともらしく語られてしまひ、結果、不確かな知識が横行してしまってゐるのだと、つくづく思ふ。

Courtois 製 Saxhorn Basse 6 piston No.168

 

 French Tuba は、海外での通稱

 まづ、名稱であるが、コルトワに據れば、「French Tuba」ではなく、「Saxhorn Basse」であった。調子がCであることと、第6ピストン装備といふ點を除けば、確かにコルトワ製の他の Saxhorn Basse の形状と殆ど變りはない。ただ、C管の爲、B♭管の Saxhorn Basse(下の畫像參照)よりも、ややずんぐりむっくりしてゐるやうに見えてしまってゐる(あたかも管が太く、ベルが大きくといふ風に)だけである。

 

Courtois 製 Saxhorn Basse No.166

  

 大きさは、意外に小さい

 ちなみに、筆者が樂器を構へた際の畫像がこれである。筆者は身長160cm。この樂器がいかに小ぶりであるかがお判り頂けると思ふ。

 

 

 ボアは、ユーフォニアムよりも太くなどない!

 では、そのスペックを檢證してみたい。

 

ベル 280 mm
マウスパイプ
シャンク
細管〜中細管
ボア メイン(マウスパイプ) 1〜3抜差管 4〜6抜差管 第6ヴァルヴ出口
14.37 mm / 14.78 mm 14.82 〜 14.88 mm 15.87 〜 15.95 mm 16.09〜16.15 mm

  

 ちなみに、前述の、同じコルトワ製、Saxhorn Basse No.166(5ヴァルヴ)の場合は、

 

ベル 280 mm
マウスパイプ
シャンク
細管〜中細管
ボア メイン(マウスパイプ) 1〜3抜差管 4抜差管 第5ヴァルヴ出口
不明 不明 不明 16.15 mm

 

 である。No.166 の實寸を取れば、よりハッキリすると思ふが、このスペックや、畫像から讀み取れるレイアウトからしても、French Tuba は、Saxhorn Contrabasse の範疇に入るものではなく、C管で6ヴァルヴを装備した Saxhorn Basse そのもの、といふ風に見えて來る。ボアサイズを見ての通り、サクソルン・バスは勿論、ユーフォニアムよりも太いボアであるなどとは言ひ切れない、といふことがお判りになるであらう。音色の方も、サクソルン・バスの、ユーフォニアムよりも張りのある、やや明るい音色と、大して變りないやうに感じられた(C管獨特なのか、何とも言ひ難いしっくりと來る感じを受けはしたが)

 

 各ヴァルヴの役割

 各ピストンの役割は以下の通り。參考までに、mackey さん所有のフレンチ・テューバ「Cuesnon Monopole」を、またコルトワのサクソルン・バス、No.166(5ヴァルヴ)No.164(4ヴァルヴ)、ベッソンの通常のユーフォニアム、BE-967 を併せて記載した。

 

開放
Courtois No.168 1音下 半音下 1音半下 2音半下 半音下 3音半下
Cuesnon Monopole 1音下 半音下 2音下 2音半下 半音下 3音半下
Courtois No.166 1音下 半音下 2音下 2音半下 3音半下
Courtois No.164 1音下 半音下 1音半下 2音半下
Besson BE-967 1音下 半音下 1音半下 2音半下

 

 サクソルン・バスの内で、5ヴァルヴを備へた器種では、第3ヴァルヴが2音下がるシステムになってゐる場合が多い(古くは4ヴァルヴ以上を備へた器種も該當した)。コルトワの No.168 のさらに古さうなモデルの畫像を見ても、そのやうに見える。しかし、この No.168 は、No.164 や、通常のユーフォニアムと同じく、第3ヴァルヴは1音半しか下がらない。メーカーも、色々、試行錯誤してゐたのかも知れない。フレンチ・テューバと稱される樂器特有の、第6ピストンヴァルヴについては、3音半下がるやうになってゐる。これは、通常のサクソルン・バスの第5ヴァルヴに相當することになる。

 このフレンチ・テューバとサクソルン・バスとを分かつ、第5ヴァルヴの存在と効用について、mackey さんが雑誌 PIPERS 第245號にて論考されてゐる。また、その論拠は、Cuesnon 社 1912年のカタログに(このカタログでも Basse と表記され、サクソルン・バスの一モデルであることが判る)あるとして、ご自身のホームページにても、詳しく研究されてゐるので、是非ご覧になって頂きたく思ふ。またこの第5ヴァルヴの効用については、先のA.ベインズの「金管楽器とその歴史」(福井一譯 音楽之友社刊)にも、同樣の見解が記載されてゐる。それらの見解は、いづれも、第5ヴァルヴは「H管」にするためのヴァルヴであり、#系の作品を演奏する際に大いに役に立つといふものである。

 ここまでの調べを總合すると、フレンチ・テューバと稱されるサクソルン・バスが、通常のサクソルン・バスと明確に違ふのは、C管であるといふ點と、通常のサクソルン・バスに備えられた最大5つのヴァルヴの他に、さらに「太いボアで半音下がるヴァルヴ = 第5ヴァルヴ」が存在するといふ點であると言へる。


 

 實際どのやうに使はれてきたのか(次項に備へて)

 さて、このフレンチ・テューバについて、「フランスのテューバ奏者は、近年まで皆この樂器を演奏してゐた」といふ言説がある。最早この言説はすっかり蔓延しゐて、知識の一つとして収まってゐる方も、非常に多いのではないかと思ふ。ワタシ自身もそのやうなことを何かで讀んだり、またそのやうな話を聽かされたりして、ドイツやイギリス、アメリカ型の大きなテューバを使はず、この小さな、ユーフォニアムのやうなバス樂器を、オーケストラの中で頑なに使ふフランス人奏者を思ひ描いてみたものだった。しかし、實際にこの樂器を手にして、果たして本當に、フランス人はこんな小さい樂器を、大編成のオーケストラの中で頑なに使ってゐたのであらうかと、疑はざるを得なくなってしまった。

 よく考へてみると、まづ、「近年まで」とは、一體いつ頃までを指すのかがはっきりしてゐない、といふことに氣付く。ワタシは、この話を知った頃の年齢からして、漠然と、1970年代あたりまでは使はれてゐたのであらうと思ってゐたのである。本當にさうなのだらうか。そして、また判らなくなったのは、果たしてオーケストラ作品に「テューバ」のパートがありさへすれば、フランスのオーケストラでは本當にこの「フレンチ・テューバ」と稱されたサクソルン・バスが常時使用されてゐたのか、といふことである。もしかしたら、「曲によっては」といふ但し書きが必要なのかも知れない。さう思ふくらゐ、どうもこの樂器は、オーケストラの最低部を擔當する金管樂器としては、頼りないといふ印象がぬぐえない、それが、ワタシの正直な氣持ちである。これらについては、フランスのオーケストラの畫像なり、繪などの文献が出て來れば、大分はっきりとしてきさうだ。手間は掛かるが、ちょっと調べてみたい。

 オーケストラの中でフレンチ・テューバが使はれてゐたと推測出來る作品の中に、ラヴェルの編曲した、組曲「展覧會の繪」(ムソルグスキイ作曲)がある。「ビドロ」と題された一曲に、テューバのパートがあり、非常な高音域でソロが演奏される。現在は、ユーフォニアムや、ロータリー式のバリトン、E♭バスやFテューバなどで演奏されることが多い。このソロをラヴェルがテューバパートに演奏させることを思ひ描いてゐたといふことから、ラヴェルが編曲した當時のフランス(1920年代)のオーケストラでは、フレンテ・テューバなり、事によれば5ヴァルヴのサクソルン・バスが使はれてゐたと考へることが出來る(A.ベインズは、當初この「テューバ」は5ヴァルヴだったと記してゐる。さうなると、それは即ちC管のサクソルン・バスであったといふことになる。なほ、1989年に至っても、コルトワのラインナップには、No.161 として、C管サクソルンバスがある)。しかし、常時使はれてゐたかどうかは、この事例だけでは判らない。他の同時代のフランスの作曲家のテューバの扱ひをも研究して、比較検討してみなくてはならないであらう。

 漠然と持ってはゐるが、不確かな知識、そのしがらみから一旦離れてみると、フレンチ・テューバ一つにしても、歴史は色々に考へることが出來る。其處に氣付いた時、重大な疑問、今まで見落としてきてゐた事柄に對する疑問が、次々に湧き出て來るのである。サクソルン・コントラバスがあるはずなのに、果たして本當にフランスのオーケストラでは、フレンチ・テューバを使用するのが普通だったのか。もし、5ヴァルヴのサクソルン・バスでもなく、サクソルン・コントラバスでもなく、海外の大型テューバでもなく、このフレンチ・テューバと稱される6ヴァルヴのC管サクソルン・バスが、フランスのオーケストラで本當に常に使はれて來たのだとすれば、フランス人が音樂を演奏するにあたって、最も大事にしてきたこととは、果たして何だったのであらうか。等々。この樂器を手にし、正に疑問論難止むときなし、といふ胸中である。

 このページを讀んだ皆さんは、どのやうにお考へになるであらうか。


1. ワタシ自身も細々と研究を續けていく所存ですが、皆さんのご意見、發見を是非ともお伺ひしたいと思ってをります。メール、または談話室にてお聽かせ下さい。色々なご意見やご研究があるとなれば、研究會も發足させたいと思ってをります。宜しく御願ひ致します。



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Hidekazu Okayama