ユーフォニアム(ユーフォニウム)の歴史 〜 序 〜

 

 インターネットの普及により、樣々な樂器の畫像が容易に手に入り、またさうした樂器を容易に入手出來るやうになった。しかし、日本において、今日ほど、世界各國のユーフォニアムやそれに近い樂器の情報が錯綜してゐる時代はあるまい。この一連の項では、通史の體裁を採りながら、今日のユーフォニアムの成り立ちについて、記して行きたい。

 まづ、筆を進めるに當って、心に留めておきたいことを記す。

 

 ユーフォニアムの範疇について

 ・この項で「ユーフォニアム」と記した場合、原則として、現代の日本において使はれてゐる、YAMAHA や BESSON や WILLSON で製造されてゐる「EUPHONIUM」を指す。

BOOSEY & HAWKES 製 7674 IMPERIAL BESSON ユーフォニアム

 ・ユーフォニアムに近い各國の樂器については、出來るだけその各國の一般的な呼び方に従ひ、表記する。便宜上、各國のB♭(またはC)調の中低音金管樂器とまとめてユーフォニアムと括ることもある。ex.) 「世界のユーフォニアム」

 「どこまでをユーフォニアムとするのか」といふ決着を付けるには、結局「何を以てユーフォニアムとするのか」を、樣々な角度(歴史的經緯のみならず、樂曲における役割、基本構造や設計など)から定義づけ、その定義づけが正しいかどうかをはっきりさせなくてはならない。しかし、私は、ユーフォニアムの定義は、ひとまづ置いておきたい。私は、定義づけが出來るほど、ユーフォニアムや各國の樂器について知らないからだ。

 私が歴史を知りたいのは、ユーフォニアムやそれに近い樂器が賣れるやうにする爲に必要だとか、ユーフォニアム奏者の仕事を増やす爲に必要だとか思ってのことではない。私は、純粋にユーフォニアムの歴史を知りたいのである。何故知りたいのか。それは、己を知りたいからなのかも知れない。

 物は、人にとって必要だからこそ、この世に生まれ、發達する。必要がなくなった物は消えて行く。各國に、ユーフォニアムと似た役割を擔ひながら、形状が異なり、少しずつ音色の異なる樂器が今もなほ存在するといふことは、その各國の人々にとって必要としてゐる何かが、それぞれの樂器にあるからだと考へられる。これを個性と言ってもよいと思ふ。この、個性の體驗こそ、私がそれぞれの樂器を區別しようとする發想の元になってゐるのだと思ふ。

 各樂器の音色や形状、歴史を突詰めていけば、人々が何をその樂器に求めてきて、今に至ったのかを知ることになる。もし、そこに共感できるのなら、自分が音樂に何を求めてゐるか、藝術に何を求めてゐるかを知ることに繋がる。即ち己を知ることになる。いにしへの人々が、歴史を鑑(かがみ)と呼んだのには、かうした心があったからなのかも知れない。

 

 資料の扱ひについて

 資料を丹念に讀むこと − 讀み間違へは、間違った解釋を生む。その爲に以下の四點を肝に銘じることとする。

 ・私情を挟まぬこと − 自分の立場に囚はれれば、讀み違ひを引起こす。
 ・既成の概念に囚はれぬこと − かうであった筈だといふ思ひに囚はれれば、讀み違ひを引起こす。
 ・これまでの知識を覆す事實が判明したら、潔く受容れること − 既存の知識に拘泥してゐては、發見はない。
 ・不明な點は、不明と記すこと − 判った振りこそ、無知の最たるものであり、自己の無知を忘れさせるものである。

 自他のドクサ(思惑)に惑はされず、「無私の精神」を貫くことが、私の努めのやうに思はれる。

 


 平成19年1月21日

Hidekazu Okayama
無斷引用ヲ禁ズ