明治の始まり、軍の樂隊結成に伴ひ、日本に最初に輸入された管樂器は「イギリスのディマティン社」に發注したものであるとは、よく言はれてゐるし、ユーフォニアムに關するあれこれの文献にもそのやうに書いてある。しかし、調べてみると、日本に樂器を輸出するやうな「ディマティン」といふイギリスの會社は見あたらず、話は妙な具合になる。
このタネを明かすと、日本の吹奏樂の歴史を繙く時に、かなり多くの人が「海軍軍楽隊」(楽水会編 国書刊行会刊)といふ資料を引用してゐる所に原因がある。當時のイギリスの大手樂器商の「ディスティン社」が、誤って「ディマティン」と同書に書かれてしまひ、これが出典も明らかにされないやうな數々の書物や論文にまで引用された果てに、そのまま「日本に最初に入ってきた金管楽器はディマティン社製だ」といふ知識として定着してしまったといふのが、事の眞相のやうである。しかし、同書は事実を誤認して「ディマティン」と記したのではない。同書10頁には「イギリスのディマティン社に注文した待望の楽器は」と書かれてゐるが、そのわづか數頁前の7頁には、「イギリス・ディスティン社より楽器到着」と、ちゃんと書いてある。恐らくは、組版の次點で、原稿に書かれた「ス」が「マ」と讀み違へられ、ゲラの段階に至ってもそれが氣付かれずに、そのまま印刷されてしまひ、世に出てしまったのであらう(ディマティンといふ管樂器輸出會社が、本當にあったのなら話は別だが)。
誤植といふ點で同書に多少の責はあるにしても、ワタシはむしろこれを扱って來た人達にこそ、大きな問題があると思ふ。單なる誤植(しかも數頁前には正しく明記されてゐる!)が、檢證もなく人から人にどんどん引用されて、結果、多くの文献で、未だに「ディマティン」と書かれるに至ってゐるのであるから、事は單なる誤植といふ笑話に終はるまい。そもそも、イギリスのディスティンと聞いてピンと來ないといふこと自體、樂器の歴史を世に語る上で如何なものかとも思ふが、それをさておいたとしても、引用元の「海軍軍楽隊」をよく讀めば、同じ出來事であるにも關らず「ディスティン」と「ディマティン」と書かれてゐるのであるから、例へ豫備知識のない者でも、「あれ、これではどちらが正しいか判らない」と思ふ筈である。この「わからないこと」「わからない部分」を「わからない」とハッキリ認識することこそ、最初にして最も重要な發見であるとワタシは思ふ。
これを引用した人を責めようとか、馬鹿にしたりする積もりはない。しかし、これが、今のユーフォニアム研究の現實だといふことを、しっかり受け止めなければ、「自分はユーフォニアムのことについてよく知ってゐる」などと言ふことが如何におこがましいか、つひぞわからず、正しい知識を身につける道を踏み外してしまふと思はれてならない(ユーフォニアムに限らないが・・・)。
箸から芋を落とすことが作法だと信じて宴會を台無しにしてしまった人々のことなど、誰も笑へはしないのである。
ちなみに、日本初のユーフォニアムは「ベッソン製」であるとする記述も多い。ここで、「どちらかの資料が間違ってゐるのではないか」、或いは「どちらかの資料が間違ってはをらず、むしろベッソンとディスティンは何か關連があったのではないか」と考へ始めるところから、研究の道は始まる。そしてその決着が着くまで黙々と資料にあたる根氣、又は判ってもゐないことを、さも判ったかのやうに口にすることを我慢する努力がなければ、大發見といふのは、決して訪れはしない。大發見は才能の力によるのではなく、根氣と努力の成すものだとつくづく思ふ。どうしても才能が大事だと言ふのなら、根氣と努力の才能こそ、最も必要なのではないだらうか。
平成15年11月8日
Hidekazu Okayama
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