横須賀に、記念艦「三笠」がある。日露戰爭の日本海海戰で旗艦となった戰艦三笠は、大東戰爭後、米軍に没収され、バーになってゐたが、有志(三笠保存会)の手によって復元され、現在は横須賀市管轄の資料館となってゐる。*1 私が初めて三笠を訪れたのは、確か5歳頃(昭和48年頃)だったやうに思ふ。何しろ戰艦がそのまま展示されてゐて、大砲も動かせる。怖くて降りられなくなった階段があったことも思ひ出される(今はその階段のやうな危險な場所は、出入り出來ない)。
その三笠艦内に、海軍軍楽隊の展示室がある。この展示室を知ったのは、15年くらゐ前だと思ふ。テレビで、元海軍軍樂隊隊員のドキュメンタリー番組をやってゐた。元軍樂隊員が、互ひに樂器を持ち寄り、三笠の甲板で行進曲「軍艦」を演奏するといふ企畫であった。私が感動したのは、そこいらにゐさうなお爺さんが、天袋からコルネットを出すシーンだった。敗戰により、軍樂隊も解散となった時、各自の樂器は、持ち歸りが許されたといふ。その樂器を、大事にしまっておいたのださうだ。御國の運命を背負ひ、砲火をかひくぐり、敗戰後の困窮にも屈せず、今穏やかに、愛しさうにコルネットを出されるお姿が、今もまなかひに浮かんでくる。そのドキュメンタリーで、三笠に展示室が設けられたことを紹介してゐたと記憶する。
展示室には、昭和15志(昭和15年入團)の、鈴木隆氏寄贈のユーフォニアムが展示されてゐる。フランスのクランポン製である。樂器としては、フランスのサクソルンバスであるが、海軍ではこれをドイツ式に、「ユーフォニオン」「バリトン」と呼んでゐたやうだ。*2 陸軍も、やはりサクソルンバスを使ってゐて、陸軍ではフランス式に「プチ・バス」(小バス)と呼んでゐたさうである。*3
管樂器研究家の佐伯茂樹氏から聞いた話によると、日本管樂器株式會社では、ヴァルヴがロータリーのドイツ式バリトンやテノールホルンも作られた可能性が高いとのことだ(同社がウィンナタイプのヴァークナーテューバを大正12年に製造してゐたといふ事實に基づく。このヴァークナーテューバは東京藝術大學の樂器庫に収められてゐて、雑誌『パイパーズ』250號で採り上げられた)。また、ユーフォニアム奏者の深石宗太郎氏も、自身のサイトにて、日管ではドイツ式のバリトンが製造されてゐたと記してゐる(ただし、氏が何を根拠に記載してゐるかは不明)。*4
海軍軍樂隊の資料として現存する多くの畫像を觀ると、サクソルンバスの代はりに別の樂器が使用されてゐるものは見あたらない。一時期、ロータリー式の樂器が製造されたといふことは、考へられなくはないが、それが本當に海軍で採用されたのかどうかは不明である。もし採用されたとしても、今のところ、ごく一時期の稀な例だと考へざるを得ない。
筆者が所有する、唯一ドイツ式の「B管テノールホルン」らしき樂器を使ってゐることが判る資料は、東京藝術大學教授だった、故大石清氏の『テューバかかえて』に掲載の樂隊畫像である。當初は陸軍軍樂隊が演奏をする豫定であったが、東京音樂學校の乗杉校長が、「音楽学校の生徒達も出陣するのだから、音楽で参加させてやりたい」と申し入れ、音樂學校の學生達が擔當したとのことである。
昭和18年10月21日、東京神宮外苑競技場における學徒出陣式*5
また大石氏が第一商業學校(現都立第一商業高校)時代にソロコンクールに入賞した記念として、NHKにてソロ曲「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム變奏曲」を収録した際、サクソルンバスではなく、ユーフォニアム(氏の記述に從へば、おそらくチェコ製)を使用してゐたとする畫像資料がある。ユーフオニアムの導入は、指導者の廣岡九一(淑生)氏の方針だったと言ふ。*6
昭和15年1月15日 NHKラジオ放送後の記念撮影*7
しかし、このやうな資料は稀で、明治からの多くの畫像資料によるなら、陸軍も海軍も、「プチ・バス」「ユーフォニオン」「バリトン(海軍)」については、多くの場合、同じサクソルンバスを使用してゐたものと判斷出來る。もし、これを否定するなら、大石氏の資料のやうな、根拠を明確にした指摘を要することとなる。
參考までに私の所有する、日本管樂器株式會社が海軍に納めた樂器をご紹介する。
多くのサクソルンバスの第4ヴァルヴの枝管は、前面に向って伸びるやうに設計されてゐる。しかし、この日管は、第4ヴァルヴの枝管が背面にある。BESSON & Co. のサクソルンバスにも、稀にこのスタイルがある。
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よくあるサクソルンバスの背面レイアウト
BESSON & Co. 鈴木隆氏寄贈のクランポン製も、 同樣のレイアウト。 |
筆者所有の日管が元にしたと思はれる
レイアウト こちらもBESSON & Co. |
*2 楽水会編『海軍軍樂隊』(国書刊行会 昭和59年)、『海軍 XII』(誠文書房 昭和59年)等に呼稱、竝びに畫像資料あり。
*3 阿部勘一 他『ブラスバンドの社会史 軍楽隊から歌伴へ』P.163(青弓社 平成13年初版)
*5 大石清『テューバかかえて』P.98(音楽之友社 平成11年初版)形状は、チェコのチェルヴェニー(アマティ)製のモデルによく似てゐるが、輸入品か、國産か、資料がなく不明。故大石清先生には高校時代よりお世話になってをり、こんなことなら、もっと早く、戰前の樂器事情について伺ってゐればよかったと思ふ。
*6 『テューバかかえて』P.49*7 『テューバかかえて』P.61 こちらも、チェルヴェニー(アマティ)製のユーフオニアムに似たモデルである。大石氏は、最初に担当したユーフォニアムは4本ヴァルヴのチェコ製だったことを、同書49ページで述べてゐる。
平成19年2月13日
Hidekazu Okayama
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