打上げ

 その日は余りにも寒かつたので、打ち上げに行く前に風呂に入つた。身體が温まり氣分も落ち着くと、急に眠くなつた。ああ疲れてゐるのだなあ、と思ひながら服を着、公會堂の直ぐ前にあるピザ屋に足を運んだ。店の3階を借り切つての打ち上げの筈だつたが、豫想外の大人數になつた爲、2階の半分程も使ふ事になる。3階は講師の先生方、卒團生が占領してしまつたから、遲れて來た小生などは二階で現役達と相變はらずの馬鹿な話をしてゐた。先生方や先輩方は小生らの知らぬ昔話に花を咲かせてゐる事であらうから、さういふのは2次會でゆつくりと聞かせてもらふ事にして、この時間は同輩、後輩共と他愛のない話をして過ごしてゐたのである。

 この後2次會では、何故か小生の妹の話が持ち上がつた。講師の先生方がベタホメしてゐて、それに付け加へたやうに、良く似た兄妹だと。妹はまだ中學を卒業したばかりだから、この場にはゐなかつたのだが、もしゐたらどういふ顏をするだらうと思つた。妹さんはどうして演奏旅行に參加しないのか、とよく聞かれたが、小生はどうも上手く答へられなかつた。未だに悉くは解らないが、高校の入學を控へてゐた事もあり、兩親に經濟的負擔をかけさせたくなかつたのかも知れない。どうやら小生よりはずつと親孝行である。

 今回卒團する、サクソフォン擔當の森山ゆか女史がたまたま近くに座つてゐた。妹が同じパートだつた事もあつて、御世話になりました、と言ふと、岡山兄妹が羨ましいです、と言つて來る。そんなにいいものなのだらうか。

 2次會で、ずつと眼の前に座つてゐたのは、昨年卒團した宮田房枝先輩(バスクラリネット擔當)であつた。長いこと話しをしてゐなかつた。元氣でやつてる?と訊かれたので、最近になつてプラトンにしびれさせられてゐますよ、と應へたら、「さういへば岡山君にニーチェの話を聞いた事があつたわね、色々な話をしてもらつたけれど、ちやんと一人でもやつて行けるやうになつたわ」と言はれてしまつた。あの頃は本當に淺薄な知識だけを振回してましたから、としか言へなかつた。

 もう随分と前の事になるが、ある日、小生などに頼らず、もう自分で考へて行かなくては駄目です、と先輩に言つた事があつた。今思へばもつと別な言ひ方があつたのだらうとも思ふが、「私頼つてゐるかしら」といふ言葉を最後にして、とにかくそれから年賀状以外に音沙汰がなかつたのである。かうして久し振りに會つて話をしてゐたのであるが、先輩は微笑みながらも、時折、何だか淋しさうな表情をする。

 暫くの間歡談した後、お開きとなり、皆それぞれの家路に就く。愈々明日は生まれて初めての海外旅行へ出發する日なのである。1年前より、それまで全くやるつもりのなかつたアルバイトを始め、なんと1ヶ月に5万円といふ大金を定期預金にして旅費を稼いだ、その努力が遂に實るといふ旅行の前日に、小生は荷物も詰込んでゐないまま、午前様で歸り、そのまま寝てしまつたのであつた。