出發進行

<出發前の大慌て>

 空は晴れてゐるやうで、曇つてゐるやうで、はつきりしない。前の日の疲れも殘つてゐて、昼過ぎに目を覺ます。

 集合は15時に澁谷公會堂。1分の遲れも許さない、と運營委員の南保先生に言はれてゐたので、準備に慌ててしまつた。なにせ殆どの物がスーツケースの外にあつたのだから。あれを持つて行かうとか、これを持つて行かうとか、大體分かつてゐるつもりだつたので、そんなに時間も掛かるまい、すぐ濟むだらうと思つてゐたのだが、實際にケースの中に入れてみて驚いた。詰め込みすぎてフタが閉まらないではないか。一からやり直しである。さうしてこれは要らない、これも要らないと無造作に放り投げ、やうやく鍵を掛けた後、今度はその出鱈目さが不安になり、また中身を中身をいぢくり回してしまふ。そんな事を何度もしてゐるうちに時間はどんどん過ぎて行つてしまひ、もう時間がないからタクシーで行かう、さう決めて、またもやフタを開けたのであつた。

 大慌てで母とタクシーに乘り、公會堂へ向かふ。妹は來ない。なるほど皆の言ふ通りよく出來た妹だ、けしからん。

 どうやら集合時間にはギリギリ間に合ひさうだ、と車の中では思つてゐたが、着いて見ると殆どの者がもう受付を濟ませてしまつてゐる。ほうらごらんなさい、といふ母の顏つきがそれを見ないでも解る。

 急いで受付を濟ませて、旅行會社の方からパスポートを受取ると、岡山センパアイ、と耳慣れた、妙にキンキンと甲高い聲が聞こえて來た。聲の主は思つた通り、同じユーフォニアムといふ樂器をやつてゐる安江亜希子女史であつた。この時高校3年にならうとしていた彼女の場合、大概「ねぇ先輩先輩、聞いてくれますぅ」と話を切りだすのであるが、今度も例外ではなかつたやうだ。以下の文章は彼女の話してくれた内容、そして發音を出來るだけ正確に書綴つたものである。

 「ねぇ、先輩、先輩、聞いてくれますぅ。あたしねぇ、昨日おおさわぎしちゃったのぉ。昨日ねぇ、バッグの中見たらパスポートがないのぉ。んで、よく考えてみたら今日もらうんじゃない、ほぉんとにもぅ、あったしもう家ん中でおおわらいしちゃったぁ。」

 かういふ具合なので、少々めまいがしさうになるが、同じ班で一週間も暮らすのだから、まあそのうち慣れるだらう。

 スーツケースを置きに荷物置場へ行くと、千見寺香織女史(中3 サクソフォーン擔當)がケースを開けて、何か探してゐる。どうやら、旅行中必ず附けておくやうに、と言はれてゐた名札を、何處へ入れておいたのか解らなくなつてしまつたらしい。その横のお母さんらしき人に、全く貴方は…云々、と叱られてゐる。いづこも同じか、と思ひながらも、小生はやはりケースの中身が心配であつた。

<いつてまゐります>

 公會堂のすぐ横が區役所で、そこのロビーで全員待機する。見送りには、かなり大勢の方に來て戴き、賑やかさが中々絶えず、終ひには松崎、南保兩先生に怒鳴られてしまふ。こんな事ぢや、云々、外國へ行けません、云々、と。つい、この兩先生何處までこの元氣が持つだらう、などと余計な事を考へてしまふ。

 出發式では、區の方々から見送りの言葉を随分戴いたが、なにせこちらは早く出發したいので、何だか皆同じ事ばかり言つてゐるやうに聞こえる。出發式の締め括りは團員代表の出發宣言である。中學校の時から小生と一緒に吹奏樂部に入つてゐて、今回、團員の代表となつた瓜生建二君(昭和61年度卒 トラムペット擔當)が「皆様の御期待に應へられるやう精一杯頑張ります。行つてまゐります」と、堂々と宣言をする。自づと皆背筋が伸びた。

 出發式を終へた16時過ぎ、指揮者及び團員51名、役員7名、澁谷區教育委員會視察團4名、添乘員3名の合計65名は、期待に胸ふくらませ、次々にバスへと乘り込んだ。

<2號車の幸運>

 2臺のバスが成田空港に向かひ、動き出して間もなく、添乘員の本間明氏から出國に關しての書類を渡され、各自で記入した。出國する手續は面倒で、何度も住所、氏名を書かされる。それが終はると後は空港に到着するのを待つばかりだ。

 1號車の方には、木管樂器擔當の團員と指揮者の大石先生、事務局長の松崎先生、運營委員の南保先生、教育委員會の視察團の先生方が乘つてゐる。小生らの2號車はサキソフォンと金管樂器の連中と、運營委員の先生方と父兄さんが乘つてゐる。ドイツへ行つてからも、バスのメンバーはこのままだ。我々2號車に關しては、どうやら騒ぎ放しの旅行となりさうである。バスが動き出した直後から、小生や安江女史をはじめとする2號車のお祭連中は、松崎、南保兩先生が乘つてゐないといふ事もあつて、騒ぎまくるわ、菓子を喰ふわと、もう遠足氣分ではしやいでゐた。まさか一號車ではこんな事は出來まい。

<檢問所>

 高速道路に入つてから随分經つて、陽も次第に傾いて薄暗くなつて來た頃、空港前の檢問所に差掛かる。成田空港内には鐵道驛がない。それにはどうも周邊地域の空港建設反對派や、何處からか集まつて來る過激派グループの活動がある事も關係してゐるやうに思ふ。成田空港へ行くにはいくつかの手段があるが、いづれにせよこの檢問所を通ることになつてゐる。「ここ數日警備が嚴しくなつてゐますので、全員バスの外に出されての檢問になるかも知れませんが、絶對に抵抗しないで下さい」と本間氏が説明する。日本の玄關となる空港へ行くのに、こんなに手間を掛けなければならないといふ事を考へてゐたら、「經濟大國日本の國際化」といふ美名も、何だか怪しいものに思へた。

 我々のバスに、制服を着てピストルらしきものを腰に着けた人が入つて來て、にこりと笑ひ、「檢問です、何人かの方にパスポートを提示して戴きます」と言つた。もし誰か引掛かるやうな事があつたら、あのにこやかな表情はどう變はるであらうか、そんな事を考へてゐるうちに、割合簡單に檢問は終はつてしまふ。さうして19時前に新東京國際空港へ辿着いたのであつた。