搭乘前のドタバタ

<ビデオカメラ>

 南ウィングのコンコースへ集合し、樂器を空港の積込み口に運び、各自の荷物をまとめた後、搭乘手續の始まる19時半まで自由時間になる。

 公會堂を出發する前から、今回運營委員として御世話になる大戸喜一先生が、この旅行の記録に、といふ事でビデオカメラを回してをられたのであるが、空港に入つて一段落すると、ニコニコとしながら小生の方へ近寄つて來た。何事かと思ったが、公會堂で母が先生に何か話をしてゐた事を思ひ出し、ははあ、大方母が先生に何かしら吹込んだのであらうと察した。案の定、先生から頼まれたのは、先生に代はつてビデオカメラを操作して欲しいとのこと。「君は小さい頃からカメラをいぢつてゐたさうぢやないか、お母さんから聽いたぞ」といふ具合であつた。「さう言はれましても、小生のいぢつてゐたのは、寫眞機や八ミリでありまして、ビデオカメラといふのは使つた事がないので、壞すといけませんから遠慮させて戴きます」とお斷りしたのだが、まあまあ君いいぢやないかと、まるで上司から酒を勸められるが如く、カメラを渡されてしまふ。

 「本當にどうなつても知りませんよ」と言つて、適當に録畫のボタンを押してみた。ファインダーを覗き込み、近くにゐた人を撮りながら、ズームやら何やらのボタンを押してゐたのだが、困つたことに録畫ボタンを離しても、テープが止まらない。何だこいつは止まらないぞとあれこれいぢくつた後、ああさうか停止のボタンを押せばいいのか、と勝手に納得して停止ボタンを押さうとするが、そんな物何處にあるのか、さつぱり分からない。カメラを横にしたりひつくり返したりしてボタンを見つけ、テープを止める。再び録畫を始めて、あちこちにレンズを振回してゐたが、氣が附いてみると、今度は何時の間にか再生のボタンを押してゐた。これはいかんと、急いで巻戻すもののが、一體どの邊まで巻戻せばよいのかが分からなくなつた。ええいもう面倒臭えと適當な所で止めて、たうとうカメラを先生に返してしまつた。いつもにこにこされてゐる先生も、流石にこの時は呆れた顏をされて、他の人にカメラを預けられた。

<初の掟破り>

 腹が減つてゐた小生は、今回卒團した八尋謙一君(ホルン擔當)と、何か食べようと空港の中を走り廻つた。殘りの時間が20分程しかないから、急いであちらのレストラン、こちらの喫茶店と覗いて見たのだが、何處も滿席である。仕方がないから、一箱700圓もするサンドヰッチを買ひ、急いで口の中に放り込んでから、集合場所に駆けつける事となつた。

 集合場所であるフライト・ボードの下で班毎に点呼を取る。班は樂器別に12、3名ずつに分けられてゐて、全部で4班ある。小生は第4班の副班長である。しかしまさか、最初の集合時間にのこのこ遲れて來る奴などをるまいと思つてゐたのだが、第2班の石井孝明君(高1 クラリネット擔當 しかも2班の班長!)ら數人は、早くも時間嚴守の掟を破り、松崎、南保兩先生に怒られてしまふ。當然ながら我々全員にも、こんな事では言々、といふ注意が飛んで來てしまつたのである。まつたく先が思ひやられる。

<ターミナルビルにて>

 搭乘手續を濟ませ、さあこれで愈々飛行機に乘込むのかと思つてゐたら、搭乘の開始は21時といふ事で、あれほど急いで食事をとつたかひもなく、1時間後にまた集合する事となる。はやまつた選擇をした。

 さてこの時間、何をしてゐようか、と思つてゐると、合宿等で必ず異様な盛上がりを見せるカードゲーム、「ウノ」を買つて來てゐなかつた事に氣が付いた。そこで今度は、玩具屋はあるだらうかと、再び八尋君と空港の中を散策する事になる。

 この時になつて始めて解つた事だが、このロビーは地上4階にあつたのである。バスから降りて直ぐロビーに入れたものだから、ここがビルの4階だとはちつとも氣付かなかつた。それなら折角だから1階から順に見て行かうと、エレベーターを使つて降りてみた。1階のゴチャゴチャとした土産物屋だとかレストラン等を眺め、あまり面白くねえな、と八尋君と話しながら歩く。本屋があつたので、暫くの間日本語にはお目に掛かれまいから雑誌でも買つて行かうか、とそこに入つた。八尋君が「スコラ」といふ成人向け雑誌を發見し、先輩これはどうですかと言つてくる。店の中でヌードグラビアを見ながら、これを買つて旅行中のオカズにしようとか、また二人で馬鹿な事を言つてはゐたが、結局何も買はずに店を出た。續いて2階、3階と見て廻つたが、やはり土産、旅行用品屋だとか、レストラン、喫茶店などが殆どであつて、少々變はつたところで、理髪店、銀行等があつたやうに思ふが、余り面白くはなかつた。

 あんまり出鱈目にあちこち歩いてゐたので、もう4階だか5階だか忘れてしまつたが、やつと玩具屋を見つけ出し、「ウノ」を購入する。小生と八尋君は暫く喜びに浸り、得意になつてゐたが、後になつて四人の後輩から、「ウノ」なら持つて來ましたよと聞かされることになるのである。

 氣を取直して、中學時代からの先輩である荒井真吾先輩(昭和59年度卒テューバ擔當)と北ウィングの方まで足を延ばし、そこの賣店で、首から下げられるやうになつてゐる「パスポート入れ」なるものを買ふ。

 その後は南ウィングのロビーに戻り、寫眞を撮つたり、この日の爲に用意したウォークマンで音樂を聞いたりしながら時間を潰す。

<ウェイティング・ラウンジ>

 集合時間になり、一行は搭乘券、パスポートを片手に、コンコースからエスカレーターで出國の審査をする三階へ降りた。ここをパスすれば、愈々飛行機に乘り込める。小生は税關、出國審査を難無く抜けたが、最後の手荷物檢査のゲートを潜つた所でブザーがブウと派手に鳴つた。いや、實際は大した音量ではなかつたのかも知れぬが、とにかく矢鱈に大きく聞こえた。皆から、何だ何だと注目される中、制服の男に身體をチェックされたが、どうやら胸の内ポケットに入れておいた懷中時計が問題だつたらしい。係員が眞面目な顏をして、何だねこれはと言ふから、こちらも眞面目な顏で、時計ですと言つてやつた。何がをかしい。

 審査が全部終り、動く歩道のある長い廊下を渡り、ウェイティング・ラウンジと呼ばれるサテライトに入つた。これでやつと飛行機に乘り込めると思つてゐたが、又待機である。いい加減暇を持て余してゐたから、さうだ、誰か知合ひにでも自慢してやらうと思ひついた。そこで、演奏會の時に餞別を貰つた、某都立高校でユーフォニアムを吹いてゐる深井奈保女史に電話を掛けてみる。しかしお母さんらしき人が電話に出て、目前にある高校の演奏會の練習で、まだ家に戻つてゐないとのことであつた。實を言ふと、この旅行がなかつたら小生もその演奏會にエキストラとして參加してゐたのである。さうか、それなら仕方がない、他に思ひ附く處もないので、自宅に電話する事にした。電話には妹が出た。「もしもし元氣か」と聞いた。元氣も何もない、さつきまで家にゐたのだ。「お母さんに代はつてくれ」と言ふと母が出た。「ああ、今ドイツに着いたところだ、お土産何にかするか」と言つたら、「まあ、随分はやいわね」などと言つて來る。やはり親子である。