日本文化會館へ

<ケルン日本文化會館へ>

 9時にホテルを出發する豫定なので、朝食後のんびりしてゐる暇もなく、急いで準備をする。普段の生活と同じやうにシャンプーをしたのだが、ドライヤーで乾かす時間がなくなつてしまつた。まさかびしよびしよのままでは外には出られないから、とつさの判斷で、一か八かスタイリング・ジェルなる整髪料をぬりたくつて髪を固め、集合時間ギリギリにロビーへ行く。小生の頭を見た山崎君は、流石先輩、いつもお洒落を忘れてゐない、恰好いいなあ、と誉めてくれたが、なんの事はない、時間がなかつただけである。

 ロビーで全員集合の確認が取れると、佐藤氏から、今日も道路が澁滞してゐますので、文化會館までは電車を使つて行く事にします、はぐれないやう十分注意して下さい、と言はれる。

 ゾロゾロと一行は表に出て、信號を幾つか渡り、地下鐵驛の入口へ入つた。この入口は硝子貼りで、まるで巨大な電話ボックスのやうだ。そこからエスカレーターで地下に降りて、改札を通り、ホームで電車を待つ。この邊は日本と變はりはない。やつて來た電車に乘込んで、3つか4つ目の驛で降りた。驛名は知らぬ。

 地上に出て、今度は街頭を走る小さな電車に乘る。丁度チンチン電車のやうなものだ。10分ぐらゐ乘つてゐたやうな氣がする。どこぞの驛で降りて、街頭に木の植ゑてあるアスファルトの歩道を5、6分、八尋君と歌を歌ひながら歩くと、日本とドイツの文化交流の據點、ケルン日本文化會館に到着。2、3階建くらゐの建物が會館で、その向かう側は白鳥の遊ぶ廣い池を持つた公園であつた。

<練習前の一時>

 ロビーに入ると、床には濃い色(確か茶系だつたと思ふ)の絨毯が敷詰めてあつて、まづとても清潔な所だと思つた。もじもじしてゐると、文化會館の係の方が、ドイツ語で挨拶をされた。

 ロビー中央の、やはり絨毯の敷いてある大きな階段で2階へ上がると、ホールの入口がある。さて今夜はどんな所で演奏出來るのだらう、と思ひながら大きなドアーを開け、中に入つた。入つて眞正面にステージが見える。板張で、丁度全員が乘れるくらゐの大きさだ。ステージも壁面も客席も、色は全て茶系で組み合はされてゐて、いいあんばいだ。決して大きなホールとは言へないが、こぢんまりとしてゐて、落着いてゐるのがいい。

 ステージの前には小生らの樂器が置いてある。昨日のうちに樂器班の皆が運び込んでくれたものだ。樂器もまた日本からの長旅で大變だつただらう。硬いケースに入れては來たものの、管がへこんではゐないかと心配であつた。他の人にしてみれば大した樂器ではなくとも、小生にとつてこの樂器は寶物なのである。中學生の時から現在まで一緒に練習し、一緒にあちこち飛回つた仲間なのである。樂器が傷つくと、小生も怪我をしたやうな氣分になるのだ。丁寧にラッピングのビニールを取り、ケースを開けてみると樂器は無事収まつてゐた。ほつとした。

 客席にコートと荷物を置いて、近くで樂器を出してゐた石井君と雑談をしてゐると、突然隣から、きやあといふ悲鳴と、ドスンといふ音が聞こえた。何だと思つて横を見ると、安江女史が床に座り込んでゐる。聽けば、椅子の腰掛けが持上がつてゐたのを知らずに座らうとして、尻餅をついてしまつたのだと言ふ。安江は何處へ行つてもドジだねえ全く、と石井君と大笑ひしてしまつた。

<ドイツでの練習はじめ>

 各自輕く音出しをしたところで練習開始。ステージに上がつて、チューニング(音合はせ)をする。それが全員終はると、指揮者の大石先生登場。先生は初めに、「愈々今夜は第1回目の演奏會です、いつもと場所は違ひますが、早くこの場に慣れて、いつも通りに演奏すれば、ドイツのお客樣にも私達の音樂がきつと傳はることでせう」と言はれた。その後曲の中の何箇所かを確認しながら、1時間余り練習は續けられる。ホールの音の鳴りは、まあまあ、といふところであつたが、ステージは見掛けよりずつと狭く、特にパーカッション(打樂器)の人達は曲中の移動が大變さうであつた。

 打樂器奏者は管樂器奏者とは違つて自前の樂器を殆ど持つてをらず、大概借り物ですませなければならない。從つて1臺1臺の樂器の持つ微妙な音の響きや、バチとの組合はせ、つまりどうすればどんな音がするかといふ事は、實際に叩いてみるまで、全くと言つてよい程分らない事もあるのである。それぞれの樂器が持つ癖のやうなものは、長い時間をかけて、その樂器を使用してゐるうちに段々と分つて來るものだから、それを瞬時に知るには相當の能力を必要とするのである。行く先々で借用する樂器に慣れる暇があらうとなからうと、彼らはきちんと演奏しなければならないのであるから、大變だ。

 プログラム中の1曲、『吹奏樂の爲の木挽歌』(小山清茂作曲)のクライマックスは、大音量で鳴るドラで締括られるのだが、その膽心のドラが今回はない。借りてもゐないさうなので、その部分には他の樂器を用ゐるしかなくなつた。ドラに代はる樂器など果たしてあるのだらうか、小生はそれがとても氣になつたのだが、結局彼らは、シンバル1枚を紐で吊るして、それを思ひ切つて叩く事にした。しかし、いくら頑張つて叩いても、直径が1メートル近くもあるドラの大音量を、直径50センチメートルにも満たないシンバルでは導き出す事など出來るはずがない。それでも、曲を締括る壮大なドラの響きに近づける爲に、彼らは何度もバチを交換して、その響きを檢討したのである。彼らにとつては「いつものこと」に過ぎぬのであらうが、樂器の生み出す音に對する彼らの神經の使ひ方は並ではないと感ずる。

 さて、練習を終へると、各自樂器をしまひ、控室に運ぶ。男子はLL教室、女子は會議室が控室となる。女子の方はどんな部屋であつたか知らぬが、男子のLL教室の方は、日本の大學にあるLL教室などと大差なかつた。