演奏會、そして樂器購入

<本番開始>

 本番開始30分前の午後7時、チューニングをする。準備が出來次第、舞臺袖で入場する順番に竝んで待機する。前に書いた通り、小生はあまり緊張してゐない。

 7時30分、舞臺へ入場するや、たちまち客席より拍手が起こつた。意外に思ひながら入場してゐると、そのうち拍手は手拍子になる。つい小生も手拍子に歩調を合はせてしまふ。客席を見てお客さんの數が會場の七、八割くらゐだと判つた。

 全員が各々の位置につくと、ライトが明るくなり、大石先生御登場。拍手の中、お客さんに一禮をされてからこちらを向かれる。いつもの本番と同じやうにニコニコされながら、團員でぎつしり詰まつたステージを見渡された。

 一曲目は、日本の定期演奏會でのオープニングと同じ、ジェイムス・バーンズ作曲の『アルヴァマー序曲』である。先生の指揮の構へと同時に皆も樂器を構へ、指揮者と奏者、チャンバラ映畫の一騎打ちの時のやうな眼差しになる。かういふ時はきつと、お客さんの方もチャンバラ映畫か何かの一騎打ちを固唾を飲んで観てゐるのと同じやうな氣分になつてゐるのであらう。會場の誰もが最も緊張する瞬間である。張り詰めた緊張の中、先生のタクトが勢いよく振り降ろされると、全員の音がまるで爆發するかのやうに、會場を響かす。曲は速いテンポの中、渦巻くやうなスケールが奏される前奏から、豊かなメロディーへ無事に入つて行つた。

 しかし、困つた事にその後、緊張感が持續しない。お客さんに聽かせようといふ氣持ちがまるで出てこない。勝手に自分達が樂器を吹いてゐるやうな、そんな氣分であつた。始めから終はりまで緊張しつぱなしといふのも困るが、かくも演奏に集中出來なくなるのも問題である。そんな思ひは小生だけではなかつたやうで、演奏中のトラブルが相次いだ。ぼけつとしてゐて、吹くべき處を吹き忘れてしまふなど、許されないミスが何箇所もあつた。

 それでもお客さんは、一曲一曲に温かい拍手を送つて下さつて、途中に一回の休憩を挟んだプログラムの全十四曲の他、こちらがアンコールに用意してゐた曲を全て演奏し尽くしてしまつた程、喜んで下さつたのである。演奏する曲がなくなつても拍手は鳴り止まず、先生は何度も指揮臺まで足を運ばれた。運營委員としてゐらした安江女史のお母さんが、客席で涙を流してをられるのが見える。小生は、こんな氣合の入つてゐない演奏の爲にわざわざ來て頂いた上に、こんなにも温かい拍手を下さるお客さんに對して、何だか申し訳なくなつてしまつた。

<再び樂器試奏>

 演奏會が終了すると、直ぐバリトンを試奏しなければならない。社長さんは小生が樂器を購入するかどうかの決斷を待つてをられるからである。控室の方は直ぐかたづけをするといふので、ステージ横の大石先生の控室をお借りして試奏する。先生の控室へ行くと、稲川さんが何やら沢山の書類に目を通され、サインをしてをられる最中であつた。演奏會を成功させる爲に、裏方で一生懸命仕事をされてゐるのである。そんな中で小生のわがままも聽いて下さつて、本當にあり難い事である。稲川さんが全部書類を書き終へられてから、お部屋をお借りする。

 しかし、日本のユーフォニアム、テューバ界の草分的大人物が後ろで着替へてをられる部屋の中で、小生が樂器を吟味するといふ事は、かなりのプレッシャーがある。どうだい、と先生に聲を掛けられて、何と應へたものか。はあ、音は少し硬いやうな氣がしますが、うんにやら、むんにやら、と言ふと、ユーフォニアムとは似てゐるけれど、大分違ふ樂器と言つていいからなあ、とズボンを履き替へながらにおつしやつたやうに思ふ。

 二十分程吹いてから、バリトンの購入を決意した。音色に多少の不安はあるが、何よりも形がいい。この機會は逃せないと思つた。稲川さんと一緒に社長さんの待つロビーへ行く。

<樂器購入!>

 ロビーでは社長さんと御夫人が待つてゐらつしやつた。小生がバリトンを購入する旨を稲川さんに話して頂くと、社長さんは大變嬉しさうな表情をされた。社長さんは實際にバリトンのケースを開けて小生に使用上の注意をされた後、稲川さんに假の領収書を渡された。稲川さんはそれを見るや否や驚いて、何か社長さんに話された。途端に社長さんは小聲になつて、二人でぼそぼそやつてをられる。側で聽いてゐる小生は氣が氣ではない。すると、くるりと稲川さんはこちらを向かれて、この値段ぢや儲けなしの仕入値同然だ、このケースも半額になつてるよ、と眼を丸くして言はれた。樂器についてゐる正札を見るとこの樂器、3,590マルクになつてゐる。ケースは普通500マルクくらゐはするさうだから、定価の合計額の4,090マルクから實に四割五分も値引きして下さつてゐる事になる。しかも、厄介な免税の手續きも全て會社の方でやつておいて下さるさうである。

 社長さんと何度も何度も握手をし、失禮ながら英語でお禮を言つた。前もつてドイツ語のお禮の言葉を聽いておくべきであつた。

 これは後から運營委員のお母さん方に伺つた話であるが、稲川さんは、遠い外國に來て手持ちの全部を使つてでも樂器を買はうとした小生の意氣込みに心が動き、アントン社の社長さんに、何とかしてあげられないものだらうか、と相談をされたのださうである。そこで社長さんも、稲川さんまでが驚く程の値をもつて、一肌脱いで下さつたのである。何とあり難い事かと思つた。

 ちなみに、歸朝後、その樂器を抱へ、購入の際の思ひ出を話してゐると、父親から、それは只の衝動買ひぢやないか、と大笑ひされてしまひ、話の分からぬ親父だ、と口喧嘩をやらかしてしまつた。ともあれ、樂器の購入は、自他共に旅行中の一大事件であつた。南保先生などは、あれから10年も立つのに、小生の樂器を見ると、「これ、あの時の樂器?」と尋ねられるくらゐである。

 さて、演奏會の終了後には、會場のかたづけと、明日の演奏會場へ運ぶ樂器のラッピィングをする事になつてゐたのであるが、小生はバリトンの試奏をしてゐたが爲に、全く手傳ふ事が出來なくなつた。小生のユーフォニアムは安江女史が包んでくれてゐたさうである。あり難い。