黛敏郎『涅槃交響曲』1

 黛敏郎氏の『涅槃交響曲』を聽きました。黛氏の音樂は現代音樂と呼ばれる分野のものでして、この現代音樂と稱される世界では、奇怪な音や、不協和な音の組合せ、めまぐるしく變化するリズム等が多用され、ちょっと私にはついていけないやうな世界でありました。いはば、普通の音樂に飽き足らなくなった一部のインテリ好みの世界のやうでもありました。それで私もなかなかCDを購入する氣が起きなかった次第なのです。やうやく昨日購入しまして、冒頭の音を聽くや、「ややっっっっっ!」と、流れ來る音樂に釘付になってしまったのです。何なのでせう、この音樂は。こんな音樂、今まで一度だって聽いたことがありません。

 冒頭から、不協和音です。和音といふのは心地よい響きを醸す音の組合せです。ドミソとか、シレソとか、學校の音樂の時間に聽かされた、あの響きです。一方、不協和音と言ふのは、文字通り「不協和」な音でして、聽いてゐると氣持の惡くなってしまふやうな、或はやかましくがなり立ててゐるやうな音の組合せです。この氣持ちの惡さにしびれてしまふ人も多く、現代音樂の分野では、むしろこれは立派な和音だとか言ふファンすらゐるのです。些細なことでいらいらしてゐる我々現代人の、サディスティックな、同時にマゾヒスティックな感情に通ずるものがある爲に、受入れられてゐるものかもしれません。

 さて、『涅槃交響曲』は、冒頭からこの不協和音です。ステージ上にフルオーケストラと100人もの男性合唱団、そして客席に木管合奏団と金管合奏団に打楽器群を配備したといふ大オーケストラが、この不協和音を次々に提示していきます。ところが、不協和音であるはずのこれらの提示に、ちっとも氣分が惡くならないのです。氣分が惡くなるどころか、なんだ、この感覺は、と戸惑ひつつも、やがてじっと耳を澄まして聽入ってしまふのです。途中佛教の聲明のやうな歌手のソロと合唱が加はり、壮大な響きがやがて消えて行くまで、一體どのくらゐの時間であったのでせうか。聽き終へて、思はず、ほぉぉぉ・・・といふため息のやうなものが出ました。

 夢から覺めたやうに呆然としながら、CDの解説に目をやりましたところ、「あっ!」と聲を上げさうになり、この不思議な感覺の源が、忽ち判然としたやうに思ひました。