第一節 フィヒテの少年時代

   一、生誕と少年時代

   二、後援者との運命的出會ひ

   三、中等學校時代−古典と啓蒙思想への關心

 一、生誕と少年時代

 近代ドイツの哲學者、ヨハン=ゴトリープ=フィヒテ( Johann Gottlieb Fichte 1762-1814 )は、一七六二年五月一九日、ドイツのザクセン侯國のオーベルラウジッツ地方、ランメナウといふ小さな村に生まれた。兩親は、農耕を中心として、他にリボン織業も營んでゐた。一家は全く貧しいといふ譯ではなかつたが、フィヒテをはじめとする七人の子供達を抱へての生活は決して樂ではなく、何とかやつと切り抜けていつたといふ感じだつたやうである。かうした事情から、フィヒテは學校に行く事も出來ず、幼少の頃から兩親のリボン織の仕事を手傳つたり、鵞鳥の番をしてゐなければならなかつた。

 フィヒテはよく一人ぼつちでゐる子供だつたやうであるが、さういふフィヒテにも樂しみはあつた。それは仕事の合間に、ジークフリートの英雄物語を夢中になつて讀むといふ事であつた。碌に學校にも通はせて貰へず、一人でゐる事の多かつたフィヒテにとつて、書物の中で活々と生きる英雄達は友であり、やがては自分が生きる爲の手本となる師であつたに違ひない。もう一つの樂しみは、毎週日曜日に教會へ行つて牧師の御説教を聽く事であつた。そしてフィヒテはそのお説教を單に聽いてゐただけではなく、全て覺えてしまつてゐたさうである。この驚くべき能力が、フィヒテわづか九歳にして思はぬ人生の轉機を引起こす事になつたのである。

 二、後援者との運命的出會ひ

 一七七一年、マイセンの貴族領主ミルティツが、フィヒテの住むランメナウに親戚を訪ねてやつて來た。ミルティツ男爵は、當時評判の高かつたランメナウのヴァークナー牧師の御説教を聞かうと思つてゐたが、時間に遲れてしまひ聞く事が出來なかつた。そこで村人が、牧師の御説教を毎回全部覺えてしまふ少年がゐる、と言つて男爵にフィヒテを紹介した處、フィヒテは實際にその御説教を分かり易く繰返して男爵に聞かせたのである。男爵は、たつた九歳の少年の卓抜した才能にいたく感動すると共に、この才能を育て續けて行けばやがては大人物になるであらうと見抜き、教育の全面的後援をする事を決心してフィヒテを引取つて行つた。

 三、中等學校時代−古典と啓蒙思想への關心

 庶民階級出の子供達は、わづかばかりの初等教育が受けられるのみであつた時代に、フィヒテは當時のヨオロッパでも名高いギムナジウム(學者養成の爲の中等學校)、シュールプフォルタ ( Schulpforta )に入學出來る事になつた。シュールプフォルタでのフィヒテは學問に勵む一方、寮の嚴しい氣風に反發も強くなつたと言はれてゐる。若いフィヒテの情熱は、學校で習ふ古典のみならず、シュールプフォルタでは禁書とされてゐたギョエテ、レッシング、ルソーなどの所謂啓蒙思想家達の書物に至るまでも、貪るやうに讀ませたのであつた。