第二節 我々は言葉をどのやうに捉へるか

  一、言葉の認識は可能であるかといふ問ひ

  二、言葉を捉へる條件

  三、表現しようとすることと理解しようとすること

  四、共感を生み出す言葉の力

 先に述べたやうに、フィヒテは、人間に於ける最初の言語は、人間に與へられた天性に基いてゐて、視覺、觸覺などの感覺器官によつて知覺されるものに對して、それぞれ一定の音を發したものであつたと考へた。それが、共同生活を營む地域の樣々な外的影響の下で、感覺的なものをあらはす言語として發展して行つたと考へられる。

 人間はさらに進化して、感情や、精神、心といつた超感覺的なものを捉へようとするやうになつた。言語の性質を考へる以上、人間の超感覺的なものは感覺的なものを表はす言葉によつて對比し、暗示させるしか表現する方法はないのであるから、恐らく我々の祖先は、言語における感覺的なる意味を知つた後に、超感覺的なものをどのやうな言葉で當てはめるのが相應しいかといふ事を考へて行つたのである。それが言葉によつて表はされた時、同じ感覺的認識のある者ならば、その發せられた感覺的な言葉から、相手の言はんとする超感覺的なものまで認識する事が可能となるのである。さうフィヒテは言ふのであるが、これは觀念論や理想論を説いてゐるのでは決してない。ただし我々自身の實體驗による考察を必要とするやうである。

 一、言葉の認識は可能であるかといふ問ひ

 無論、相手の發した言葉が眞に理解されるか、それともされぬかといふ事は、言葉を受け取る者の經驗に從つて、廣狹、深淺を生ずるであらう。さう考へるとかういふ問ひも浮かび上がつて來るかも知れない。つまり民族に於いて、言葉の感覺的な處は、同じやうな環境にゐる以上、個人の成長に伴つて大體分かるやうになるであらうが、果して超感覺的な處はどうであらうか。例へば、切實な想ひを綴つた言葉は、切實な想ひをした事のない者には決して分からないであらうし、もつと極端に言へば、人の考へは皆違ふのだから、想ひを綴つた者以外がその氣持ちを分かるといふ事などはあり得ないのではないか、と。この點において、分からないけれども大事な事だらうから何とか分かりたい、といふ態度になる者と、經驗しない限りどうせ分かりはしない、と捨鉢になる者とがゐるであらう。前者が學問をする者の態度であらうと思ふのだが、しかし我々がかうした分からない言葉に接した場合、その言葉は分からないまま枯れてしまひ、朽ち果ててしまふのであらうか。フィヒテの話から考へれば、決してさうではない。

 二、言葉を捉へる條件

 フィヒテは、その感覺的なものが人に受け入れられるのと同じく、超感覺的なものも、その民族の熟知した感覺的言語によつて表はしたのであるならば、自己の精神的機關を働かす者に對しては、誤りなく、直接生命に働きかけ、生命を刺戟する力を持ち、「かくの如き言語の各々の言葉は、そのいづれの部分においても、生命であり、且つ生命を作るのである」(第四講 p.86-87)、と語る。つまり、超感覺的なものを表はす言葉が通ずるか否かといふ事において膽心になるのは、雙方が自民族の感覺的なる言語を熟知してゐるかといふ事と、言葉を受け取る側が自己の精神的機關を働かしてゐるかといふ事になる。かうした條件の下に、言葉は人の心と心とを繋ぐ事が出來る。民族に間斷なく用ゐられて來た言語は、さういふ力を持つてゐると言ふのである。

 三、表現しようとすることと理解しようとすること

 「超感覺的なもののすべての表現は、これを表現する人の感覺的認識の廣狹及び明暗に準ずる」(第四講 p.85)とフィヒテは言つてゐる。まづ言葉の感覺的意味を知つてゐなければ、對比も暗示も、何も出來ないからである。ある程度言葉を知つたのならば、自分の想ひをどういふ言葉で表現するのが相應しいだらうかと、それが大事なものであればある程、考へに考へるであらう。フィヒテの言葉を借りるならば、それは丁度感覺的言語によつて畫圖を作成するやうなものである。

 かうした言はば感覺的畫圖を本當に理解する爲には、その民族の言語が持つ感覺的なものを知つてゐなければならないといふ事は勿論、相手の氣持ちを何とか分からうと己の心を働かせ、相手の言葉を聽かなければならない。フィヒテはその事を、「彼自身の精神的機關を働かせねばならぬ」(第四講 p.83)と言ふ。何故なら、發せられた言葉は、そのままでは感覺的な畫圖に過ぎない。己の精神を傾けて言葉を受けとめようとしなければ、その言葉の感覺的意味しか理解する事が出來ず、相手の言はうとした膽心の處は、分からなくなつてしまふのである。

 四、共感を生み出す言葉の力

 我々が、何とかして相手が言はうとしてゐる超感覺的なものを感じ取りたい、つまり、この人は一體どういふ気持ちなのだらうか、といふ事を全身全靈で想ふ時、言葉は我々の生命に直接に刺戟を與へる。朽ちて枯れてしまふのではない。我々の心を常に刺戟し續けるのである。あの人のあの言葉は一體どういふ事なのか、と問はずにをれなくなるのである。自分にとつて大事な人の言葉であればある程、我々は容易な解を求めずに、常に考へ續けて生きるやうになる。從つて、自分が普段の生活をしながらも、その言葉が消え去つてしまふやうな事はない。言ひ換へると、人の想ひの込められた言葉が、何とかしてその言葉を受け止らうとする者に對して、一種の共感を生み出させる事になる。あの言葉がどういふ事なのかよく分からないけれども、耳を傾けてゐるとはつとさせられるといつた、直觀的な共感を生み出すのである。それがなければ長く考へる事など出來ない。意識してゐやうと、無意識の裡にあらうと、その直觀的な共感から思惟といふものが始まる。「考へる」といふ事は、自分の中にある形のない感動や想ひを、はつきりとした形、つまり言葉を以て表はさうとする努力そのものである。從つて言葉なしに思索する事など出來はしない。言葉にする事が出來て初めて「考へた」と言ふべきであらう。

 かうして最初に與へられた言葉の生命は朽ち果てないばかりか、その人が實際に生きてみて樣々な經驗をする中から、あれはああいふ事ではないだらうか、かういふ事ではないかと考へる事によつて、我々は新たなる言葉、つまり新たなる生命を生み出して行くといふ事になる。この事こそフィヒテの言ふ、言葉は生命を直接刺戟し且つ生命を作るといふ事であり、又そこにこそ言葉の力といふものがある。そしてその言葉は、何とか自分の思ひを傳へようと言葉を選ぶ者と、その言葉を何とかして受け止めようと努力する者との共感の關係の中にあつてこそ生命であり、且つ生命を作り得る力を現はすといふ事になるのではないだらうか。かくしてこの兩人の間において、新しき表現が生ずる。この關係を續けるうちに、さらに澤山の言葉による表現を知るやうになつて行く。

 他人と同じ經驗が出來る譯がないのだから、他人の經驗から發せられた言葉など理解出來る筈がないといふ意見は、なるほど尤もではあるが、さう開き直つてゐるといふ事自體が、その言葉を理解するに至る道を自ら閉ざしてしまつてゐるといふ事に氣付いてゐないと言ふべきである。