第三節 民族と言語

  一、民族の言語といふもの
  二、國語と教養
  三、國語を失つた民族の運命
  四、ドイツ語による國民教育
  五、祖國と國語と自己

 一、民族の言語といふもの

 かうした共感の關係は、當然我々の民族の祖先においても存在してゐたと考へられる。いや、我々が誰から言葉を教はつたのかを考へるならば、存在しなかつたなどといふ事は考へられない。同じ場所に住み、同じやうな經驗をしてゐる人達の間において、言葉を通しての共感の關係があり、新たに生まれ出て來た赤ん坊は、この親達の話す言葉を聽いて言葉を覺えて行つたのである。さうした言葉は自らの體驗に一致するもののみが殘るばかりか、人が新たな經驗をし、新たな表現を求めようとする中で新たなる意味合ひが附加されて行き、また人と人との間に新たなる共感を生み出す、それが間斷なく行はれて來たのである。かうして發展して來た言葉を、我々は國語として普段から使用してゐる。從つて民族における共感があるからこそ、我々の言葉は通じ合ふと言ふべきなのである。

 二、國語と教養

 民族の言語が間斷なく發展して來たものであるならば、我々は自民族の歴史や思想を言葉を通して知る事が出來る。無論ここに言ふ歴史とは、事實の因果關係といふ年表式の歴史を指すのではない。我々の祖先の魂の叫びといふ意味である。自分達の祖先はどのやうに生きたのか、何にぶつかり、それに對してどのやうに考へて生きたのかといふ事を、何とかして知らうと心を働かせれば、時を隔てた我々にもそれを知る道が開けて來る。「活々たる言語をもてる民族にあつては、その精神的教養は直ちに生命に働きかける」(第四講 p.97-98)のであり、個人と個人との間で言葉による共感が生まれ、思惟を始めるやうに、現代に生きる我々と過去に生きた人々との間にもまた言葉が共感を生み出し、我々は思惟を始める事が出來る。自民族の國語が永遠なる事を信じて、國民はその限りある生を言葉に託すのである。後の世に生きる者は、己の精神的努力を働かせる事によつて、祖先の魂の籠つた言葉に共感し、自分の生に刺戟を受け、そしてその刺戟から自己の新たなる生を切り開いて行く事が出來るのである。

 かくして歴史や思想は我々の教養になるのであり、歴史も、哲學も、教育も、凡そ我々の學問、教養となるものは、共感に基づいた自國語があつて初めて成り立つのである。フィヒテが言語の問題を擧げるに當つて最初に語つた言葉、「けだし言語が人間に作らるるよりも、人間が言語に作らるることが遙に多い」(第四講 p.80) とは、正にこの事を示してゐたのではないだらうか、と思はされるのである。

 三、國語を失つた民族の運命

 それでは、もしも民族に間斷なく流れてゐる活々とした言語である國語を捨てて、他國語を中途より採用しなければならなくなつたとすれば、一體どういふ事態を引き起こす事になるのだらうか。フィヒテは、その他國語における感覺的な部分においてはさしたる問題はないであらうが、「超感覺的な部分に關しては國語の變更は重大なる結果を齎す」(第四講 p.88)と語る。

 先づ、新たに採用した言語の感覺的部分を學ぶといふ事に關しては、「その語に依つて表はされたる物體を直接に見、或は手で觸れたることに依つて明瞭になされ得る」(第四講 p.88)のであり、「高々成人が少年時代に逆戻りすることを餘儀なくさるるくらゐのものであつて、その人々の子や、その子孫の時になればその不都合は全く取除かれてしまふ」(第四講 p.88)であらうと考へられる。

 ところが超感覺的な部分はさうは行かない。なぜなら、この民族が超感覺的なものを表現するには、自民族の認識に基づく感覺的畫圖を描くのではなく、既に他民族によつて感覺的畫圖として表はされてゐるものを、そのまま使用せねばならないからである。從つてまづ、或る語において、それは感覺的なものを表はしてゐるのか、それとも超感覺的なものを表はしてゐるのか、といふ事を他國の人に一々尋ねなければならなくなる。そして、もしその或る語が超感覺的な表現であつたのならば、さらにその感覺的畫圖と、その超感覺的意義とを説明して貰はなければならない。それが、この民族において出來得る精一杯の處であらう、とフィヒテは言ふ。なぜなら、たとへそれを詳しく説明して貰つたとしても、他國の民族における共感の歴史といふものが、この民族にはないのであるから、そこから眞の共感が生ずるといふ事などはあり得ないと考へられるのである。國語を以て他國語を飜譯するといふのならば、こちらの努力次第で共感への道も開けてくるかも知れないが、その據處となる國語を失つてしまつた場合には、さうは行かないのである。この民族にあつては、せいぜい「他の民族の平板なる、生命なき歴史を知るに止まり、到底自己の文化を得る事はできず、また直接明瞭にして生命を刺戟するやうな畫圖を感ずることはできない」(第四講 p.89)といふ事になるのである。

 單純に考へてみても、言葉といふものは、個人が勝手に作り上げられるものではない。誰でも例外なく、親や、兄弟、先生、友達、書物から學び、覺えて行くのである。その枠を更に擴げて考へて行くと、言語は、自分の家庭、師友、生まれ育つた町のものであり、その町の屬する地方のものであり、そしてその地方の屬する國家のものであり、その國家の屬する民族のもの、といふ事になる。そして民族の言語が民族の共感に基づいてゐる以上、言語自體に民族の全歴史が生きてゐるのである。祖先の喜び、怒り、苦しみ、惱み、さういふものが、我々の使ふ言葉には託されてゐる。それを失ふといふ事は、民族の共感を失ふといふ事である。從つて、國語を失ふといふ事は、言葉による共感から思惟が生まれ、思惟する事によつて新たな言葉が生まれ、その新たな言葉がさらに共感を生み出す、といふ言語の活々とした力、そして人々の活々とした精神が消滅してしまふ事である。かくの如き自國語を失つた民族に殘されるものは、何ら精神を響かす事のない、死したる言語のみとなるのである。

  四、ドイツ語による國民教育

 フィヒテは第十二講において、「吾人は吾人の肉體と共に、吾人の精神までも枉げられ、從へられ、囚へられることのないやうにしよう」( p.263 )と誓ひ、そしてその爲の唯一の道は「即ちドイツ人となること」( p.263 )であると語る。フィヒテは、ドイツ人の精神が官能的利己に陷つたが爲に、他國の勢力によつて易々と國を解體されたのだと考へてゐたが、もしこのまま利己に堕落してゐるドイツの現状に沿つて事が進んで行けば、直ぐにでも、人々は何の抵抗もなく他國の言語を易々と受け容れ兼ねないと見抜いた。ヨオロッパにおいて、領土はおろか、言語までも奪はれ、他の民族に吸収されてしまつた民族など數知れないといふ事を、フィヒテはよく知つてゐた。フィヒテは、今やそれを救ひ得る具體的な道はただ一つしかない、それはドイツ人本來の精神の奪回を目指す國民教育の實施である、と考へたのであつた。

 本來のドイツ人は、決してこのやうな堕落した姿を有してゐたのではなかつたのである。それどころか他のゲルマン民族と違ひ、ドイツ人は「自己本來の住所を變ぜず、(中略)本來の國語を維持してこれを發達せしめ」(第四講 p.78)た結果、精神的教養が直ちに生命に働きかけられ、かくしてそれを眞摯に考へる力が養はれて來たのであり、そしてまた、智のみならず共感に動かされる情が育まれて行き、それ故にすべての事物において正直なる勤勉と嚴肅とを示して來たのである。さういふ事を、フィヒテは、ルターや中世の人々の例を擧げながら、講演の中で示したのである。今回の國難は單なる領土問題などではなく、我々の祖國ドイツの基となつてゐるものが永久に葬り去られるかどうかといふ、全ドイツ國民のみならず、我が同胞の祖先全て、そしてこれから生まれて來る我々の全子孫の運命に關はつて行くであらう、重大な決斷を迫られてゐるのだ。諸君らは祖國の領土のみならず、諸君らの精神まで奪はれても平氣なのか。フィヒテは利己に耽つてゐるドイツ國民に對して、さういふ問ひを嚴しく突きつけたのである。

 フィヒテは、ドイツ人の本然なる姿を各人が見出し得るやうな國民教育を、ドイツ語に立脚して實施する事を提言するのである。現在利己に堕落してゐる人々も、ドイツ語を使用してゐる限り、各人の中に流れてゐる血とも言ふべきドイツ精神を、必ず見出す事が出來る。ドイツ人の本然なる精神とは、他ならぬドイツ語に託されてゐるからである。そしてその教育を受ける事によつて、自分の利己心に氣付いた國民全員が、自分は一ドイツ人としてどのやうに生きるべきか、といふ思索に至るやうな獨立したドイツ人になつた時、その時に初めてドイツは本當に獨立し得るのだ、さうフィヒテは考へてゐたのである。

 五、祖國と國語と自己

 フィヒテの主張する國民教育において最も膽心な事は、ドイツ語で行はれるといふ事である。正に言葉による共感から思索を生み出すといふ實踐の學問をフィヒテは主張したのである。さればフィヒテが聽集に何としても訴へねばならなかつた事とは、我々は何があつてもドイツ語を失つてはならないといふ事であつた。國語が失はれた時、我々から言葉による共感も、そこから思索するといふ道も失はれてしまふのである。共感も思索もない人間は、果して自己を自己と呼べるであらうか。我々は他と共感する事によつて自己を知り得るのであり、さらなる思索を始められるのである。それがなくなつたならば、我々は生きながら死んでゐるやうなものではないだらうか。

 祖國を失ふといふ事は、國語を失ふといふ事であり、國語を失ふといふ事は、自己を失ふといふ事である。正にフィヒテにあつては、祖國と國語と自己といふものは、不可分のものであつた。フィヒテは、何としても國語を失つてはならない、祖國を失つてはならない、と湧き騰り來たるやむにやまれぬ想ひに立脚し、自身のさらなる思索によつて辿り着いた處を、當時の危險な情勢に少しも臆する事なく、ドイツ國民同胞に對して、激しく、力強く訴へ掛けて行つたのである。

 フィヒテは、「もし余が、ここに余の目前に於て鼓動しつつある何人かの胸中に火花を投げ、それがそこに光りつづけて生命を得るやうになし得たとするならば、希くはこの火花が、ただそれのみに止まらずして、願はくは我が全土に亙つて、同一の意氣と決心とを有する人を集めてこれに連結し、かくてこれが中心となつて、祖國の全體に、偏陬の地に至るまで、祖國的思念の唯一の流動する團結の焔が擴がつて、他に點火せんことを祈るのである」(第十四講 p.310)と講演の最終日に述べた。言葉の力を信じ切つた哲學者の絶叫であつた。