西平英夫著『ひめゆりの塔 学徒隊長の手記』(雄山閣)

 

 西平英夫著「ひめゆりの塔 学徒隊長の手記」(雄山閣)を讀了しました。著者の西平英夫さんは、沖縄師範學校の教授であり、後に「ひめゆり部隊」と呼ばれた、沖縄師範學校女子部と沖縄縣立第一高等女學校による動員學從の司令本部指揮班を勤められた方です。

 本書は娘さんの松永英美さんが編集をされ、解説などには少々首を傾げたくなる箇處もありました。しかし西平英夫さんの手記は、感情を極力廢したその淡々とした文章に、連日の艦砲と空襲のすさまじい樣子、女子學從のひたむきな美しい姿が刻み込まれてをり、この美しい方達によって、私は今生きてゐるのだと知り、讀了後手を合はせずにはをれませんでした。

 もっとも心を打たれた文章をご紹介します。


「大舛! 動けるか」
 と声をかけたが、泣いて答えなかった。学友たちもとりすがって大舛をたすけたが、五尺三寸(約一六〇センチ)を越える大きな大舛は一本の丸太のように横たわったまま動こうとしなかった。「這えるか」と言っても大舛はただ悲しそうに泣くばかりであった。一同ともに泣いた。せめてどこかの壕にでも入れようと思って手をかけたがこれも断念しなければならなかった。
「万事休す」(ママ)であった。私はそのまま残して行くことを決意した。
「大舛、すまないけれど、われわれはここから一応退避する。もし都合がついたら迎えに来る。それまで命を大事にしていてくれ」と泣く泣く言った。岸本教官はこれに続いて、
「大舛! 一人で残されるのは寂しいだろうから、ここに僕の刀をおいていく・・・」。
 私は見るに忍びなくなって、阿檀の林をかきわけた。生徒も続々として私に続いた。


 西平氏が淡々と語っていくこの文章に、大舛さんの名前が幾度書かれてゐることか。戰下の、毎日いつ命を失ってもをかしくない生活を共にし、顔を見ればどんなに艦砲が激しいときでも「先生!」と笑顏で手を振ってゐた教へ子達を、たうとう失ってしまった氏の悲しみ、書いても書いても書き盡せぬ悲しみが、何度も大舛さんの名を書かせるのではないでせうか。涙が止りませんでした。