忘れまじの歌 一〜十
                                      


					
一   嗚呼恐ろしや恐ろしや   頃は大正十二年     九月一日正午に二分前   古今未曾有の大災禍     地震に續く大火災     人の力に及ばざる     有爲天變を如何にせん   其慘擔たる光景は     語るに絶えて言葉なし   去れど過ぐれど忘れまじ     子々孫々の末迄も     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
二   大地は怒り火は狂ひ    自然の惡魔の凶暴は     大東京を始めとし     横濱横須賀鎌倉の     一府五縣を中心に     關東地方の災害は     一大慘事の極みなり    轟く鳴動凄まじく     強震忽ち襲來し      右と左に上下に     激しく震ひ揺がせば    山は崩れて川を堰き         だいか     さしもの大厦高樓も    瞬く隙に潰滅し     大地は裂けて水を噴き   人は屋梁の下敷に     壓死する者數多く     燒死を併せて拾餘萬     傷つくものは數知らず   其混亂の光景は     奈落の底か生地獄     其恐ろしき悲慘さは     想ひ出すだに身の毛立   此の憐れさや悲しさは     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
三   物質文化に毒せられ    精神文化地を拂ひ     すめらみくに     皇御國を護るべき     五條の道を踏迷ひ           しれもの     身の程識らぬ白徒や    養ひ難き婦女子等の     虚榮の心増長し      人心堕落の止度なく     天の誡忽ちに       救世の神の業なるか     午前に變る午後の事    オールバツクにハフバツク     はいからねくたい     高襟襟飾洋服も      舶來品に身を包み     きっと                        すてっき     羊皮の靴も舶來で     ヱスの洋杖振りながら                         いでたち     大道狹しと誇り顔     次におしやまの扮装は                  ふんそう     七分三分に耳隠し     扮装を凝し派手やかに                  プラチナ     華美の衣裳を身に纏ひ   白金指環に金時計            ちりば     ダイヤモンドを鏤めて   驕奢に誇る白徒の     浮薄の心彌募り      徳義人道地を拂ひ     恥も耻辱も打忘れ     鳥獸に劣る振舞は     みさを     貞操を破り魔が罪を    犯す者さへ現れて     きやうき                     ろうま  さもにた     澆季末世はその昔     亡國羅馬に髣髴り       ここ     天罰茲に報ひ來て     因果應報は世の掟     驕れば敗れ怠れば     亡ぶ物をと知るからは                  けいちょうふはく     見果てぬ榮華の夢覺めて  輕佻浮薄を愼みて     國難復興に努力せよ    此成行の果敢さは     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
四   震動激しき直中に     倒れ潰れた家屋より     ほのお     火焔噴き出す一刹那    狂風一陣煽り立て           あめあられ     飛び散る火粉雨霰     彼方此方に燃え上がる     火元は多く其數は     一百二十有餘ケ所     よもやと恃む地帶まで   魔の手の誘ふ飛火にて     世界に誇る大都會     隆盛繁華を極めたる     大東京の盛觀も      三日三夜さの燒け續き     一大焦土と化したるは   慘酷無上の極みこそ     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
五   火災激しき直中に     流言蜚語の宣傳は     赤化の輩の煽動と     後に噂をするもあり     ふていせんじん                  きやうきやう     不逞鮮人襲來と      人心恟々殺氣立ち     人々互ひに奮起して    防禦の道を講じつつ     老若男女の差別なく    自警の團體組織して     燒け殘りたる町々の    治安に努むる光景は     棍棒竹鎗日本刀      鉄棒等を引提げて                  ちゆうや     大路小路や辻々に     晝夜の番所嚴かに     警察官や軍隊に      力を添へんその爲に                  やまとだましひ     人民共同の警固振り    日本魂現れて     實に勇ましき働きは    必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
六   昨日に變る今日の状    見るも憐れに成果てし     三百餘萬の同胞が     火の手に追て離散せし     親兄弟や妻や子の     在所を探し呼び交す     涙の叫び血の叫び     生死を氣遣ふ愛着に     早く遇ひたや顏見たや   問はるる人も問ふ人も     狂氣の如く驅け廻り    尋ね當たる人達は     互ひに手を取り恩愛の   情け溢れて抱き合ひ     人目厭はぬ嬉し泣き    悲慘の極み憐れさは     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
七   帝都被害の其中に     酸鼻を極めた本所區                  ひふくしやうあと     横網町の大廣場      被服廠跡こそ恐ろしき     三萬四千の同胞が     焦熱地獄の大修羅塲     日頃語らう近邊の     人の思ひは皆一つ     被服廠跡の廣場こそ    先づ安全なる避難場と     先きを爭ひ殺到し     我も我もと詰め掛けて     人や荷物の山を成し    幾十萬の避難者は     やれ安心と一息を     吐くや吐かずや四時の頃     火の手激しく擴がりて   狂風火焔を吹き煽り     渦巻く黒煙濛々と     安全地帶と思ひきや     忽ち火の波迫り來て    群衆狼狽叫喚は     阿鼻焦熱の生地獄     何に譬へん物もなし     凄慘無比の恐ろしさ    此の光景の憐れさは     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
         つむじかぜ 八   又凄まじき旋風      人馬荷車自轉車も     命と頼む荷物まで     何の容赦もあらばこそ     猛り立たる龍巻きは    彼方に渦巻く火の柱     此方に登る火の柱     渦巻き立ちて燃え揚る     猛勢偉大の火の柱     天に聳えて恐ろしく     狂暴の勢ひ止度なく    廣場の中を舞廻り     箪笥布團や手荷物も    火に包まれて宙に飛び     人畜貨物の嫌ひなく    魔の手の火焔は一舐に     舐盡さんと猛り立つ    其直中に無我夢中     死線を越んと人崩雪    押合斃合混亂し     右往左往の人々を     行方も分かず逃げ迷ふ     斯かる時こそ神頼み    佛を祈る題目の     血潮を絞る唱名も     何の容赦も暴れ荒ぶ     狂風に火の粉飛散して   吹雪の如く吹き巻くる     火の粉と言へば優きも   箪笥其儘火の粉なり     布團其儘火の粉なり    飛來亞鉛も火の粉なり     着物は焦げて脱ぎ捨て   隅田の川に飛込みて     最後を遂げし者多く    逃げ遲れては生地獄     頭髪焦げて黒坊主     四肢も五體も燒け爛れ     狂ひ悶ゑて伏し倒れ    今は呼吸も絶え絶えに     臨終の際の念佛は     南無阿彌陀佛阿彌陀佛     呻きの聲音細り行く    就中憐れを留めしは     相生署長の最後にて    健気な振舞ひ勇ましく          かひ     其働きの効もなく     忠烈職に殉じたる           はいけん     遺品に殘せし佩劒の    光りは世々に輝きて     大和民草長へに      義勇の鑑と成ぬるを     必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
九   被服廠跡の慘烈は     廣場は山成す燒死體     溝に溢るる燒死體     流れを遮る燒死體     馬犬猫も鷄も       鼠も共に黒こげに     折り重なりて累々と    燒木杭に異ならず     着物も焼けて黒佛     男女も判かたぬ遺骸は     何れの誰と知るよしも   泣くや涙に呼吸詰り     胸も張裂く思ひして    空しく後世を祈るのみ     此悲慘さや憐れさは    必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ
十   餘震は未だ鎭まらず    人心恟々安からず     其月六日を手始めに    附近の燒死者取纏め     被服廠跡の廣場にて    火葬に附した其數は     四萬四千と八百人     二百有餘の大甕に     遺骨を納め合祀して    五十餘坪の納骨堂     半永久の建立で      手向し多くの卒塔婆や     銘旗の數々飜えり     互に宿所知らせ合ふ     建札張紙數知らず     日々參詣の人々が     供養に捧ぐる草花や    線香の煙り絶え間なく     記念に遺る燒死者の    遺品は永く後の世の     涙を誘ふ種となり     未曾有慘禍を偲ばする     此の憐れさや悲慘さは   必ず必ず忘れまじ     必ず忘れは致すまじ