忘れまじの歌端書

 

 その昔、時ならぬ牛の喘ぎに、天變地妖の襲來を豫感し、政事人事を愼みたる名宰相ありき、嗚呼、大正十二年九月一日に突發したる、關東の大震火災は、抑(そ)も何をか警告するものぞ。

 物質的文化に耽溺し、科學萬能を謳歌し、個人主義に憧憬するの思潮は、明治維新以來、吾が神國に東漸し、三千年來凝固せる大和魂を浸し、浮華に流れ、えう蕩(*1)に耽り、甚だしきは赤化左傾の徒を輩出せんとしつつあるの日、此の一大天譴は、懼(おそ)れて愼むべき好個の監戒ならずや。

 清、露、獨の三大外戰の試練を突破して茲(ここ)に三十餘年、甫(はじ)めて這回の國難に遭遇し、復興未だ緒に就かざるに、驕米に排日立法の成立を見、内憂外患交(こもご)も至るに方(あた)りては、志士仁人にあらざるも尚且、不祥亡國を把憂(きいう)せざるを得ざるべし。

 宗教、教育を職とする者、筆舌に思想、政治を論評するもの、延(ひ)いでは、産業に從事するもの、老幼婦女に至るまで、國を擧げて、一意專念、大和民族固有の精華に還るべきを疾呼鞭撻(しつこべんたつ)せられんこと熟望し不文揣(はか)らず、深く此の心を體し、一は以て大震火災を記念とし、一は以て自他の誠愼を促がすの微意に外ならず。


 −現代語譯(岡山英一による)−

 その昔、思ひもよらず叫び出した牛の聲に、計り知れぬ大災害の襲來を豫感し、政治に携はる時も人と付合ふ時であつても、常に己の行動を愼む事によつて、災害の發生を回避しようとした高潔な宰相がをられたが、嗚呼、大正十二年九月一日に突然發生した、關東大地震、大火災は、果たして我々に何を警告しようとしたのであらうか。

 思ふに、人間の精神までも物質として扱ふ考へにどつぷりと漬かり、科学を用ゐて出來ぬ事はこの世の中にありはしないとたかをくくり、何かと云へば個人主義、個人主義とまるで尊いものであるかのやうに何の疑ひもなく受取つてゐる今日の風潮は、明治維新以來次第に我が國に蔓延し、いにしへより人々の經驗と思索によつて積み上げられてきた日本の心といふものをむしばみ、外面だけは華やかで、いつもたはむれに耽り、その上最も許し難いことには共産主義思想などを呼び掛ける者まで生み出さうとしてゐる。この度の未曾有の被害を伴ふ天罰は、驕り高ぶる日本人が、己を見つめ直して愼むやう、正に天から戒められたものだ。さうとしか私には考へられない。

 清、ロシア、ドイツとの戰爭といふ試練を突破してから三十年餘り經つたが、この度の國難に遭ひ、復興もままならぬ我國に、さらに今度は高飛車な態度のアメリカから、排日政策を秘める軍縮条約を突きつけられたのである。このやうな國内の問題と、外交の問題とがかはるがはるに起こるのを目の當りにすると、決して志士や仁人ではなくとも、縁起の惡い話ではあるが、日本の存亡を氣に掛けてしまふのも實に已むを得ないのだ。

 私は、宗教や教育を職業とする者、思想や政治を論ずる作家や辯士、ひいては産業に從事する者から老人、女、子供に至るまで、國民が總力をあげて、ほかならぬ誇り高い日本の傳統を守りぬくやう、お互ひに注意し合ひ、學び合はうとする事を心から願つてゐる。ここに出來上つた書は拙文には違ひあるまいが、この事をしつかりと心に刻んで、大震火災の記念として、また自ら及び同胞の誠の心と愼みの心を促す事が出來るのであれば、書いた甲斐もあつたといふものだ。