カイゼルバリトンについて

 

 時折、「卵形のテナーテューバをカイゼルバリトンと言ふ」と言ったやうな言説を耳にするのだが、それは大きな誤解である。カイゼルバリトンには、ストレートベルタイプも存在する。勿論、ストレートベルタイプの樂器がテナーテューバであるとするのも誤解である。また、「カイゼルテューバは通常のテューバよりもベルやボアが大きい」、といふ説明をする人もゐるが、さういふ説明は多くの誤解を生みかねない。そこで、ドイツやボヘミア地方で、「カイゼルバリトン Kaiserbariton 」「カイゼルテューバ Kaisertuba」と呼ばれてゐる樂器について、ちょっと考へてみたいと思ふ。(カイザーバリトン、カイザーテューバといふ、英語式の呼び方もあるが、このページでは、カイゼルと表記することとする。)

 カイゼルバリトン、カイゼルテューバの發祥は、1800年代後期のボヘミア地方のチェルヴェニー Cerveny といふ工房である。A.ベインズの「金管樂器とその歴史」によれば、「カイゼル(皇帝の意)」は、オーストリア皇帝を讃へてゐるさうである。チェルヴェニーは、自分の製作したテューバに、この「カイゼル」の名稱を採り入れ、他の工房とは違ふシステムのテューバをアピールしたのだった。チェルヴェニーの「カイゼルテューバ」は、第1ヴァルヴから第4ヴァルヴに行くに從って、ボアを大きくして行くといふシステムを採用してゐた。結果、この當時に他の工房で作られてゐたテューバよりも、ずっと大きなボアと太いベルを持ったテューバが完成したのであった。これは、現代の4/4サイズのテューバを生み出すに至る、畫期的發明であった。段階的ボアの採用は、マウスパイプからベルに至までの圓錐管の拡りを、より徹底させ、これによって、ヴァルヴを組合はせた際に生ずる音のこもりを改善し、低音樂器としての太く豊かな音色と音量を導くことを可能にしたのである。チェルヴェニーは1882年に「カイゼルバリトン」の特許(ウィーン)、1884年には「カイゼルテューバ」の特許(ベルリン)を得た。このカイゼルのシステムを採用したバリトンは、今も各メーカーで最高級のバリトンとして製造されてゐる。

 このやうに、カイゼルモデルのカイゼルたるゆゑんは、まづは、その段階的ボアといふシステムにあると言ふ事が出來る。ところが、現代ドイツでは、またちょっと事情が變ってきたやうである。そこで、現在の「カイゼルバリトン」について、詳しく調べてみたいと思ふのである。


 ドイツのミラフォン社では、數種のカイゼルバリトンを製造してゐるが、その最高ランク Premium モデルは、カイゼルに見られる段階的なボアを採用してゐない。實寸は、次の表を參照頂きたい(単位は mm)

 なほ、通常のバリトンと比較する爲、一番上にマイスター・アントンのバリトンのスペックを記載した。アントンは、ミラフォンのパーツをテューンナップの上で販賣してゐる工房なので、比較し易いと思ふ。

 

Bell 1st valve 2nd valve 3rd valve 4th valve Main

Bariton E30 Professional
Meister Anton
290 13.85 13.85 14.60 14.60 14.60/16.30

Kaiserbariton 560
旧モデル
280 14.50 14.50 15.30 16.10 16.10/18.00

Kaiserbariton 5 Valve
型番不明
285 14.60 14.60 15.40 4th valve
16.10
 
5th valve
16.10
16.10/18.00

Kaiserbariton 560
310 14.60 14.60 15.40 16.20 16.20/17.80

Kaiserbariton 56L
PREMIUM
315 15.40 15.40 15.40 15.40 16.00/18.60

 

 かうして見ると、Premium では、通常のカイゼルバリトンの第3ヴァルヴのボアサイズで、第1から第4ヴァルヴのボアを統一してゐる。これは、ウィルソンのユーフォニアムの第1〜第3ヴァルヴのボアよりも大きい。さうなると、そもそもの「カイゼルバリトン」のアイデアからは外れてゐるので、「カイゼルバリトン」といふ呼称を用ゐるべきではないかも知れない。しかしながら、チェルヴェニーの意圖した、バリトンに豊かな音色や音量を持たせるといった役割については、從來のカイゼルバリトンよりも、一層實現されてゐるといふ風にも考へられる。このことは、「カイゼルバリトン」の概念が、樂器のシステム上の區分から、機能上の區分、またはランクとしての區分へと變化していることを現してゐるのかも知れない。


1. ミラフォンのカイゼルバリトン・プレミアム自體については、別項で詳しく採り上げてゐるので、それを參照のこと。

2. 他社のカイゼルモデルについても、非常に興味があるが、現物が手元にないので、各測定が出來ない。もしお持ちの方がゐたら、是非レポートをして頂き、このページを更新していきたいと思ふ。

3. 特に、カワイから販賣されてゐる、ストレートベルの「テナーテューバ」についてのレポートを募集中。製造はオーストリアの MUSICA といふメーカーだが、これは、どうもチェコのチェルヴェニーの部品と同一で、デザインもそっくりである。ハンガリーの STOWASSER といふメーカーも、チェルヴエニーと同じ部品で同じデザインである。OEM 供給といふことが、大いに考へられる。無論「テナーテューバ」といふのは、カワイが勝手に付けた名稱であらうが、これがカイゼルバリトンか、通常のバリトンか、非常に興味がある。PDF による總合カタログが、ここからダウンロード出來る。http://www.kawai.co.jp/edu/ これによると、ボアは 15.00mm との記述しかない。この件判明しました! 詳しくは事項のはみだしにて

4. マインルのバリトン(ストレートベル)を一台入手した。これも、かなりボアサイズが大きいのだが、第1〜第4ヴァルヴのボアは均一であった。しかしマインルのカタログと照らし合はせると、とうもカイゼルではないやうだ。



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Hidekazu Okayama